Mob e.V. – Obdachlose machen mobil

市民社会とそれに見放された人達 (Antje Vollmer: Die Zivilgesellschaft und Ihre Verlierer)

市民社会とそれに見放された人達  
I.

社会の近代化の趨勢によって引き起こされるもろもろの大きな変化は、水のなかに投げ入れられた小石の波状運動のように、しばしばそれどころか海底地震に よって引き起こされる津波のように、社会全体へ広がっていきます。そこでは、不動のままでいることのできるものはなにひとつありません。社会が変わり、社 会の仕組みが変わり、人びとの活動が変わり、家族の構造が変わり、生活環境が変わり、人間がそのなかで生きている自然の世界も変わります。

 これらの変化はみな、個々人に対してたいへんな適応と学習の試みを要求します。彼らはさらに、大きな地殻変動のあとで自分自身の居場所を見つけなければ なりません。しかもこの居場所は、他の多くの人びとの生活遍歴や生活条件の総体に適合する必要がありますし、そうした他者の生活遍歴や生活条件それ自体も また、全体として動揺と変化に見舞われているのです。そうした大きな転換がことのほか革命的なものであるか、あるいは、たとえば戦争の時代のようにきわめ て暴力的なものであるなら、それへの適応の過程は個々人にとってしばしば不安と危機をともなうものであります。自分たちが幼い頃から慣れ親しんできたも の、自分たちが身につけた伝統、自分たちの知識や社会的な振る舞いが、自分自身と自分の家族の生存を確保するうえで依然として役立つかどうかを、人びとは 知りません。人びとの生活におけるそのような変化は、この数千年間にいくつかありました。たとえば、大規模な人口移動、宗教戦争と内戦、そして世界征服と 植民地化の全時代を思い浮かべていただくだけで十分です。しかしながら、近代的な工業国において産業化の最初の大波が起こって以来、変化には新しい質が見 いだされます。それはすなわち、先述したようなものもろの変化が人びとの最も親密で私的な領域にまで達しているという点です。かつては、集団、氏族、家長 をもつ大家族、ヒエラルヒー、そして宗教指導者が存在しており、それらは私的な領域に対して安全と伝統と方向づけを、つまりは包括的な保護をあたえており ました。ところが、近代産業社会の成立以降の変化は、なによりもこれらの内的で重要な生活の枠組みそのものにかかわるようになっております。すなわち、大 家族は小家族へと移行しましたし、各人が分業によって貢献することで自分の安全をそこから引き出していた結合家族は、それぞれ自分自身の生活を維持するた めに奮闘しなければならない自由な諸個人の集合体へと移り変わりました。

Ⅱ.

 なぜこのような長い前置きをしたかといいますと、私たちが本日取り組もうと思っている問題へと正しく接近す るための問いを、それが提示しているからです。その問いとは以下のようなものです。個々人はどのようにして自分の社会生活の保障から脱落するのか。個々人 の生活の運命はどのようにして流砂のなかにはまり込むのか。それに対して、市民社会は、すなわち家族の結びつきによって束ねられてはいない人びとからなる この大きなアンサンブル,総体は、一体どうすれば適切に対応することができるのか。

 19世紀の半ばにおける無宿者支援活動(Obdachlosenarbeit)の創始者のひとりであるフリードリッヒ・フォン・ボーデルシュビング (Friedrich von Bodelschwingh)のことから話を始めさせてください。彼はその出自からして、キリスト教への深い傾倒を示す保守主義者でした。彼は共益に奉仕 する施設を設けることですでに、ますます資本主義的になっていく環境のなかに浮かぶ小さな島を作っておりました。産業革命が課す近代的な要求に、仕事の面 でも情緒の面でもすべての人がついていけるわけではないことを、彼は知っていました。彼はとりわけ、農場や職人の家族に見られた大家族の結合のなかで暮ら してきた障害者たちが、ますます狭くなっていくプロレタリアート向け宿舎ではもはや居場所を見つけられないことを知っていました。こうして彼が作った社会 施設は、ある種の対抗モデルのようなもの、歴史的な島のようなものをなしていました。失業した職人は小さな工房を、過重な債務を負った農民は1片の土地 を、家族は自分たちの扶養のための菜園を手に入れました。それらは、大家族に類似した生活環境をそこでふたたび築きあげるという目標をもっていたのであ り、この生活環境には当然のことながら弱者や障害者が受け容れられたのでした。財政上の支援は寄付に頼っており、彼はそれを地元の上層市民から、ひいては 周囲の教区から集めてきました。ほとんど天才的でもあった点は、彼が「断片回収」を始めたことです。これはいわば、そもそも最初のリサイクリング活動と いってもよいでしょう。なぜなら、この取り組みでは次のような依頼がなされたからです。「衣服、靴、器具、道具、材料、切手や布切れなど、要らないものは なんでも私たちのところへ送ってくれ」と。これらの寄贈物の入念な再生作業は、施設の住民だけでなくすべての工房にも、材料、食糧、そして仕事を提供しま した。このような特殊な場を――つまりは20世紀の世界の只中における19世紀の島を――設けたあと、フリードリッヒ・フォン・ボーデルシュビングは、そ のような島が多くの放浪する失業者にとっても助走のための有効な場になりうることを悟りました。そうした失業者は土地をわたり歩き、あちこちで小さな仕事 を探していましたが、しばしば深刻な住居問題やアルコール依存の問題をかかえていました。

 ボーデルシュビングの座右の銘は、すべての人が仕事と故郷と名誉を必要としている、というものです。これは私たちの耳にはいくらか古臭く聞こえます。しかし、それは核心部分においてとても近代的なものです。なぜなら、それは以下の3点を意味しているからです。

  1. 誰しも公共生活における労働を要求するものである。ボーデルシュビングは物乞いする人を欲しませんでした。それは、裕福な人びとが喜んで寄付に応 じてくれることを彼が疑問視していたからだけでなく、彼が無宿者(Obdachlosen)の地位をもっと品位のあるものに変えたいと思っていたからでも ありました。彼の家の扉のそばにはいつもすき,鋤が立てかけられていました。彼の家の扉をたたく者は誰であれ、食事や寄贈品を手に入れる前に少なくともな にか有意味なことをしなければなりませんでした。

  2. 故郷。家族はその安全保障機能をますます果たせなくなるだろうということ、修道院や宗教的な動機から設けられた慈善施設は長くはつづか ないであろうということ、したがって公的な自治体の当局は民主主義的な地方自治行政の枠内で、無宿者が故郷と助走のための定住所とを手に入れうるよう配慮 しなければならないことを、ボーデルシュビングは知っていました。そのときの目標は、無宿者のために国内で中央の大規模な施設を設けることではけっしてあ りませんでした。そのような施設はむしろ、無宿者が1日の行程で容易に到達できるようにすべての小都市または中都市に存在すべきだというわけです。

  3. 最も重要なのは名誉である。この名誉という概念の背後には、無宿者もまた自分の市民としての権利(Bürgerrecht)を失っては ならないという理念が潜んでいます。公共の生活から転落しないために、無宿者は労働を必要としている。社会的にだらしなくなったりしないために、彼は故郷 を必要としている。彼はしかし、2級市民または3級市民とみなされないようにするためには名誉を必要とする。

     この理念はとても家父長制的なものに聞こえますが、つまるところは根源的に民主主義的な構想に、すなわち市民としての権利という構想に根ざしています。 それは、市民としての敬意が、彼・彼女らの社会的な地位にかかわらず、すべての人に平等な仕方で払われるべきだという考えに由来するものでした。この構想 はしかし、次のような意味においても民主主義的でした。すなわち、この構想は、公共社会の成員が不幸な出来事によって家族の結びつきから切り離されたとし ても、すべての成員の生活条件に対して責任を感じる必要があるという、そういう義務を民主主義的な公共社会に課しているのです。

    Ⅲ.

     この点で、初期社会民主主義の社会像が、キリスト教的で保守的な社会改良者の社会像と交わることになりまし た。両者は政治に対し、弱者、貧者、そして障害者の運命に心を配るよう要求しました。両者の動機は異なっていました。社会民主主義者の動機は階級なき社会 というユートピアにあり、キリスト教的保守主義者のそれは原始キリスト教の根本理念にありました。両者の立場はしかし、極端に個人主義化され自由化された 社会像に対する断固たる拒絶という点では一致していました。それといいますのも、この社会像においては、各自は自分ひとりで自分の幸福をつかまなければな らず、成功するのも失敗するのももっぱら各人しだいだとされているからです。

     欧州の社会国家〔福祉国家〕の歴史、とりわけ巨大な社会保険のシステムと多くの社会的妥協とをともなうドイツの社会国家の歴史を眺めてみますと、社会国 家は上述の2つの運動から非常に強い影響をこうむってきたことがわかります。このことは長いあいだ、社会的法治国家の根本的信条として通用してきました。 最近になって初めて、つまりグローバル化をめぐる大々的な議論と、新自由主義の経済構想との大いなる論争とによって初めて、上記の根本的信条が動揺しはじ めたのです。欧州における社会国家のモデルは、改革に敵対し改革に抵抗するとみなされています。それは、あまりにも高価であまりにも複雑だとみなされてい ます。それは、創造性に敵対するものであり、老齢化していく社会の権化であるとみなされています。

    これらの判断が正しくて適切なものなのかどうかを、私たちはこの会議のなかで議論することになるでしょう。私は皆さんに私自身の確信をお知らせしないでお こうとは思っておりません。私の確信によれば、この社会国家モデルにオルタナティブ〔代替案〕はないのです。それといいますのも、近代化の敗者の合計数が 減っていくような世界を、私は思い浮かべることができないからです。私はまた、家族の結びつきが、大いなる産業革命の以前にはそうであったように、弱い成 員に対する十分な保護を広範囲にわたってふたたび提供しうるようになるとは思えないがゆえに、社会国家モデルへのオルタナティブを見いだせないのです。し たがって、社会から見放された人たちと向きあうという問題はそもそも、人間性への問いであり、宗教による結合力や動機づけが低下しつつある社会そのものの 内的な統一性への問いであります。私はときにこう考えることがあります。私たちの社会はこれらの人間的な要求との関連で過剰な負担を負わされているのでは なく、むしろどちらかといえば著しく軽い負担しか負わされていない、と。
    2006年3月4日の「ホームレス問題」シンポジウムでのアンティエ・フォルマー氏による講演

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